毎回ゲストを迎えて「プリ帳」から日本のガールズカルチャー史をひも解く連載企画“プリ帳ヒストリー”。
“盛り”を研究する久保友香先生。誕生以来若い子たちを魅了し、その青春を写し出してきたプリントシール機シェアNo.1のフリュー株式会社。そして長年若者の流行を見続けてきたSHIBUYA109の視点をかけ合わせることで、各世代のプリ帳を考察していきます。
第3回目のゲストは、現在はレディースシューズブランドESPERANZAのPRを担当、高校時代はプリ開発に関するモニターのアルバイトをしていたという久田見莉衣(以下、りりー)さんにお越しいただきました。
東京大学大学院にてシンデレラテクノロジーを研究
「ガールズトレンド研究所」で所長を務める
「SHIBUYA109lab.」で所長を務める
プリ帳を一通り見させてもらったのですが、りりーさんが写っていないプリがたくさんあるのが印象的でした。
そうですね。私が高校生のときは友達同士でプリを交換するのがとにかく流行っていたので、撮ったらすぐ交換!みたいな感じでしたね。
あとプリ帳が“観音開き”になっているのに驚いたのですが…!
これは無印良品のフォトアルバムなんです!本来写真を入れる部分の端を切って見開きになるよう改造していました。
こういうものがもともと売っていたわけではないんですね!凄いです!
当時は結構それが流行っていて、周りでもやっている人はいましたね。最後のほうのページは切らずに、友達にあげる用のプリを収納したり写真を入れたりして活用していました!
なるほど!
便利ですよね。あと表紙とかに好きなステッカーとか貼れるからいいなって思って!
個性も出せますもんね。それにしても無印の商品は根強い!プリ文化を長年支えているような気がします。
同じ日にプリを何枚も撮っていることが多いようですね。どのような感じでプリを撮っていたのですか?
実は私、プリのモニターをするバイトをしていたんです。ペンの書き心地がどうだとか、このスタンプはかわいいとかかわいくないとかを意見する仕事で。撮ったプリは全部持って帰ってOKだったので、同じ日に大量に撮っていることが多いんです。ピンプリ(ひとりで写っているプリのこと)もそのバイトの時のものですね。
当時もそういったモニターがあったんですね。
めっちゃおいしいバイトで(笑)。多いときは1ヶ月に3回くらいあったのですが、時給も確か2500円くらいもらえました。友達とペアで呼ばれるから友達とのプリもたくさん撮れるし、お菓子も好きなだけ食べられるし。あ、あとご褒美で叙々苑、しかも游玄亭に連れていってもらったこともありました!
高校生にとっては確かにおいしいバイトですね!ペンの書き心地やスタンプの使い方のほかにはどのようなことをするんですか?
背景のテストとか明るさのテストとか!肌の色を明るくする美白モードという機能の明るさレベルを、全パターン試して撮りました。
プリの明るさという点でいうと、写りが年々白くなっていったと思うのですが、そこはどう思っていましたか?
私の場合、夏は肌が黒く写る機種で撮って、冬は肌が白く写る機種で撮ってという感じでした。1年中 黒くしたい人もいれば、季節によって変えているギャルもいましたね。
たしかに、明るさの選択は季節で変動するという動きがフリューでも確認できています。りりーさんのような考えの子もいれば、逆に、夏は焼きたくないけどどうしても焼けちゃうから、冬より明るいものを選んで白く写るようにする、という女の子もいたりします。
当時、プリを撮る機種って決まっていましたか?
あまりコレ!って決めず、新しい機能は全部使ってみたいと思って試しにいろいろ撮っていましたね。
確かにプリ帳を見ていると、いろいろな機種を撮っているという印象。多くの人は、お気に入りの機種見つけたらそればっかり撮るという人が多いんですけど、りりーさんはまんべんなく撮っている感じがします。
人気の機種ってめちゃ並んでいるじゃないですか。だから面倒くさくて違う機種にすることが多かったです。
これ(写真のもの)ってどうやって足を上げたんですか?
これはプリクラ機の中にハシゴがついていたんです!当時はいろいろ変わった機種がありましたね(笑)。つり革が吊るされていたり、ジャングルジムが中に入っていたものも…!
2005年頃は、まだプリが「遊び」要素でも選ばれていた時代で、フリューのプリ機だと、合成ができるものや、風が吹く機種(!)なども出していました。2007年頃から「写り」がよいかどうか、つまり盛れるかどうかが重視されるようになって、それからは「遊び」要素の強い機種が減っていったんですよね。
「遊び」系の機種も好きでしたけどね。面白いからとってみようとか結構あって。
中学生の頃から、このプリ帳にある高校生時代と同じようなメイクやファッションだったのですか?
中学の時は全然ギャルっぽくなかったです。英語の勉強が好きな影響で、雑誌だと「ELLE」とかを読む、洋楽とか海外のカルチャーが好きな子でした。高校の友達にギャル系の子が多かったので、私もギャルを目指しました。でも家が厳しかったので勉強もちゃんとやりつつ、がんばって遊んでいた感じ。
洋服はどこで買っていたんですか?
池袋のサンシャインで買うことが多かったです。SHIBUYA109だと今はないけど「Yellow boots(イエローブーツ)」とか「Jassie(ジャッシー)」とか。でもブランドものって結構お金がかかるので、当時はSHIBUYA109でいろいろ見て、サンシャインで似ている安い服を買っていました(笑)。
SHIBUYA109は、2000年に「MOUSSY(マウジー)」がデビュー。その時期は「EGOIST(エゴイスト)」とか、「COCOLULU(ココルル)」が人気でしたね。
懐かしいですね。SHIBUYA109の初売りは毎年必ず行ってましたよ!友達と行って福袋をたくさん買って交換したり。高校生のときは、周りについていかなきゃってがんばっていた感じ。高校卒業したくらいから、自分の好きなものが見えてきて自分らしさが出せるようになりました
制服の着こなしとかもこだわりがあったんですか?
校則がわりと自由な学校に通っていたので、自分の似合うスカート丈とかリボンの位置とか研究していましたね。ネクタイ+ミニスカ+ルーズがかわいいと思っていました。同級生の男子のものをもらったり、おじいちゃんが使っていたネクタイを使ったり(笑)!カーディガンもユニクロとかラルフの人が多いけど、私はあえて「PLAYBOY」にしてみたり。
肌は焼いていたんですか?
日焼けをするために、夏だけ水泳部に入って肌を焼いていました!夏になるとギャルがそろって入部するという…(笑)。
なるほど!学校をうまく活用していますね(笑)!
高校時代、学校以外ではどのような活動をしていたんですか?
高校生のときに友達が作ったイベサーに入りました。拠点は、渋谷のファッキン(ファーストキッチン)か、もうないけど新宿・歌舞伎町にあったデカマック!
やっぱり渋谷はファッキンなんですね!(「プリ帳HISTORY 第2回」より)
ギャルの聖地でしたね。ファッキンにたまってる人たちはイケてる人みたいな感じで!
渋谷では他にどんなことをしていたんですか?
パラ練していました!
パラ練!?
パラパラの練習です!センター街でパラパラの講習会があったから行っていて。
パラパラってどこで練習していたんですか?
学校でも練習していました。昼休みに廊下でラジカセで音楽を流して(笑)。うちらのグループしかやってませんでしたけど…!
社会人になってから、当時を振り返ることってありますか?
実は、この業界に入ってみたら雑誌・ファッション・芸能関係に意外と昔ギャルやギャル男だった人や、イベサー出身が多かったんです。この業界の人しか入れない「59年会」という会があって、当時のことをみんなで語り合ったりしています。刺激しあっているというか、話が通じるというか、とにかくおもしろいです。最近はみんな偉くなっちゃって全然集まれていないのですが…。昔会ったことがある人や当時知ってた人と改めて今繋がることができて、その人脈が仕事にも活かされています。
いまの若者に伝えたいことってありますか?
いろいろデジタルで完結できてしまう社会ですが「アナログなことも大事」ということを伝えたいですね。
りりーさんが大切にしているアナログなことって何ですか?
私は仕事でもそうなんですけど「メッセージは手書きで書く」というのを大切にしています。ちょっとしたメッセージでも、メールとかパソコンで打ったものとかより手書きのほうが絶対うれしいと思うし、どんなに時代が変わってもそういうのって大事だと思います。
いまの若い子たちって、プリをデータで保管している人が多いですが…。
データもいいけど、プリのシールはあとで見て思い出になるから絶対に残した方がいいと思います。結局いくらスマホやSNS上の中に保存していても、数年後にはどうなってるかわからない。思い出は、できるだけリアルな形に残していってほしいと思います。
2005年入社以来、プリントシール機の商品企画に携わる。現在は企画部部長としてマネージメントも行う。
趣味は、美味しいもの、漫画、カラオケ、ホットヨガ、ダイビング、脱出ゲーム。なんでも記録するログ癖あり。
今年の目標は、仕事で仕込んでいるいろいろな新しいことによって、世の中により多くのHAPPYをお届けすること。
東京大学大学院博士課程修了(環境学博士)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教、東京工科大学メディア学部講師などを経て、現職。
研究テーマは、日本の女の子の「盛り」の文化と、それを支援する「シンデレラテクノロジー」。好きなものは、ビール、羊羹、芸能ニュース。
今年の目標は、昭和初期を知るおばあちゃんたちとたくさん会うこと。
総合マーケティング会社を経て、SHIBUYA109のマーケティング担当となる。
毎月200人のaround20(15歳〜24歳の男女)と接する毎日を過ごしている。
好きなものは、うどん、カラオケ、ドライブ。
今年の目標は、若者マーケターとしてテレビ番組に出ること、腹筋を割ること。
レディースシューズブランド「ESPERANZA」PR担当。
青山学院女子短期大学英語学科を卒業後、アパレルブランドのプレスになりたいという夢を実現。念願のアパレルPRやアタッシュドプレスを経て現職に。
海と夏と空と花と音楽とファッションとお酒と火鍋と肉が好き。
今年の目標は旅行に2回は行くこと、毎日筋トレすること、得意料理のバリエーションを増やすこと。
会社名 | 株式会社SHIBUYA109エンタテイメント |
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TEL | 03-3477-6719 |
FAX | 03-3477-6702 |
本社所在地 | 〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂1丁目10番7号 五島育英会ビル4階 |
この時代のプリ機は、今重視されている「写り」ではなくハシゴ付きなどの「エンタメ性」が重視されていて、プリに求められる要素の変遷が感じ取れました。
また、前回の古田さんの時代は肌が黒いことが「盛れてる」ことの絶対条件であったようですが、今回の久田見さんは「夏は黒く、冬は白く」など季節によって肌の色を変えていて、当時の「盛れる」に対するトレンドの変化の兆しが見受けられました。
次回以降のゲストでどのような変化が見られるか楽しみです!